昨日、歯医者で治療中にふと考えた。朝から晩まで院内で患者の応対してたらスマフォなんていらないじゃんと。どんな職業だろうが本来勤務中は見ては行けないんだろうけど、実際には外回りの営業職はもちろんオフィス勤務の人達は結構見てそうだ。医者とか美容師とか調理師とか運転手とかだと見る暇なさそう。けっこう長時間労働そうだし、みれるとしたら休憩時間と通勤時くらいかな。
結局iPhoneだなんだっていっても、通信機能(電話/メール/LINE等)以外の機能なんて必要のない人にはまさに無用の長物。いらないものはいらない。
先日ネットで出回って話題になっていた1993と2013を比べた写真。私もFacebookでシェアしたところかなり盛り上がった。
Iphoneが電子手帳とビデオカメラとPCとデジタル時計とポケベルと携帯電話とカメラとウォークマンを一つにしたことは確かだし、それはそれで驚くべき事だが(実際には携帯ゲーム、TV、ラジオ、コンパス等も)、それでは1993年当時、一体どれだけの人がそれらを持っていたのか?ビデオカメラはかなり高価だし左はじのニュートンなんてたしか当時50万くらいしたはず。携帯電話月々10万超えてたような。
つまりは技術が進歩することで高機能商品が廉価で万人に行き渡る事を可能にしてしまったのだ。
さらには93年当時にこれらを作っていた会社のほとんどが苦しくなってしまった。代わりにグーグル、アマゾン、といったネットサービス、Facebook、ツイッター、LineといったSNSが生まれた。でもこれらのソフト産業はハードと違ってそれほど多くの雇 用をうまない。これからの時代が工場を誘致して雇用と産業を確保と言うやり方がいかに難しいかもよくわかる。
上の写真に1973があったとしたらほとんどのものが存在していない。ノートとアナログカメラと 時計と固定電話、、、。つまり20年でイケてる産業なんてごろっと変わってしまう。時代が変われば新たな産業が生み出される。それこそがイノーベーションの力です。
20年って就職してから中間管理職までしかいけない。つまり就職時に死ぬまで安泰できる企業を見つける事がいかに難しいかがここからでもよくわかる。産業構造が変わるので必要とされる人材が20年間で変わってしまうので年功序列と終身雇用の難しさもここにある。
社会とはかくも流動的なのです。
車輪の発明は多くの労働者を苦役から解放した。つまりは雇用の喪失。
(奴隷が主だろうけどw)
活版印刷の発明は手書きで聖書のコピーを作っていた一部の特権階級から宗教を解放。(これがのちの宗教革命の原動力とも言われています)
そして18世紀に起きた産業革命。内燃機関の発明は鉄道、電気、車などの発明とも密接につながり革新のスピードは人類史上かつてない早さとなった。移動手段は動物+車輪から車まで何千年もかかっているのに、車から月ロケットまでは100年で到達した。
2033にむかって世界がどうなって行くのかなんて言うのはわかるようで分からない話ですが、技術の進歩は確実に人々の生活様式を変える。でも対応しても対応しなくても生きては行けるんですよね。いまだにスマ フォや携帯電話がなくても大して困らずに生活している人がそれなりにはいるように、、、