2015年9月28日月曜日

日米恋愛観比較文化論的考察 その3

結婚は様式美だとかなんとかふざけた論を展開しておりますが、
単純に現在の日本社会では女性にとっては結婚するという形が
もっとも効率がいいということもあるかとは思います。
女性の社会進出度も低く夫婦別姓も認められていない、
今、未婚女子が持つ将来への不安感は既婚男子のそれ以上でしょ。
なので女性がいかにして男性にモテるか情報が氾濫しているのも
悲しいかなそれこそが現在の日本での女性にとっての
最適戦略だったりもするからなんですよね、、、

簡単なことです。

結婚という”形式”を残して、夫婦別姓、世帯別申告をやめて個別申告、
婚、ダブル親権(離婚後も双方が親権を持つ)、
などなど”解釈”を変えれば女性の進出も促進した上で少子化も止まるでしょう。
一億総活躍時代ってそいうことですよ!

青年よ大志を抱け!命短し恋せよ乙女!!

日米恋愛観比較文化論的考察 その2

以前セックスアンドザシティでもっとも奔放な恋愛を楽しむサマンサが
つきあっている男が浮気をしたらめちゃくちゃ怒った。

なぜなら『彼は私に「I love you」と言ったのに浮気をした』からだというのだ。

彼女はそれ以外のデートをしているだけの関係がどうなろうとどうでもいい。
でも「I love you」と言った時点で『日本の付き合い』の関係に移行した彼の浮気は許せない。
”Dating Friend”は日本でいうところのセフレよりも精神的な結びつきは強いような気がする。
いわゆる”友達以上恋人未満”というか、、、

アメリカで仮面夫婦は少ないしセックスレスの夫婦も少ないし
浮気が発覚した場合はほぼ即離婚だ。
全力で愛しあっていない限りはすべて離婚。契約不履行ですね。
だから離婚率はめちゃくちゃ高い。

日本の場合は解釈を変える。
友達夫婦、亭主元気で留守がいい、子供のため、、、、。

結婚という形式はキープして関係性は変える
見積もりは形式上とるけどあと交渉で予算内にはめる
憲法は変えないけど解釈はかえる
なんといっても究極は現人神だったり象徴だったりと
解釈をかえ続けて天皇制を維持してるわけですから、
神代の頃より日本は建前を据え置いて本音というよりも
実務を遂行し物事を継続させることに固執してきた民族なんですよね。

もちろんそういう日本嫌いじゃないです。

2015年9月27日日曜日

日米恋愛観比較文化論的考察 その1

友人から『日本と海外の男女関係の価値観の違い』についてまとめてください ときたのでやってみる。米以外はそれほどよく知らないので日米恋愛観比較文化論的な、、、
「結婚した〜い!」と叫ぶ女子が私の周りには年齢を問わず本当にたくさんいる。 でも、アメリカではあまりそういう女性にあったことがない。 ふつうに「彼氏・彼女がほしい〜!」だ。 特定の相手がいてその人と結婚したいではなくて、 結婚という形そのものが先行しているのだ。
まずそもそも論として「付き合うって何?」問題というのがある。 定義としては 「優先的に時間を割き、他の人とはセックスもしくは類似した行為を しないことを公的に宣言」 でしょうか? では結婚は上記に+して 「原則として子供をもち育てることを前提として同居し収入を共有する」
*例外があるのはわかってます。大きなくくりとしてです*
アメリカでは”DATING”という期間がある。 この時点ではまだBoy/Girl friendではない。 いわゆるデートもするし旅行もするしもちろんセックスだってする。 ヨーロッパだと同棲までしちゃう場合もあるらしい。 "He is not boy friend yet we just dating"「デートをしてるだけでまだ彼氏じゃないわ」 でもこの期間はお互いまだ”お試し”なんで複数人いる場合も多い。 日本ではつきあわないとセックスしないという人も多いけど、 米の感覚だとこれは重い。 まだよくお互いを知らないのに、とりあえず関係だけは固めようっていうことだからだ。 とにかく形、形式、様式にこだわる日本っぽいといえばそうかもしれない。 結婚のみならず”告白”も”つきあう”も”セックス”もすべて儀式。 ある程度決められた(TVやマンガで醸成された価値観)に のっとって進むことが重要。日本の「つきあう」という文化は様式美である。 なんて論文が書けるかもしれない(笑)
本来であれば、好きな人ができてその延長が結婚というのが恋愛主導型の正しい姿だが、 結婚そのものがしたい。つまり形にこだわりたい。 というのも上のように考えれば納得いく。 そういう意味ではお見合いは最も優れたシステム。合コンとか街コンなんて 要は強制力のゆるい集団見合いだ。 なんで日本では家柄、年齢共に申し分ない相手との結婚が最強でしょ!
それを割り切ればいいのにそこに恋愛を無理やり入れるからややこしくなる。 江戸時代も武家と大型の商売人以外は割と自由恋愛だったようなので、 あまり形にとらわれずに恋愛を謳歌すればいいのに。 なんてことをいわれなくても
『恋愛もがんがん謳歌するけど最強結婚もきっちりするわよ』 というハイブリッドが東京には最も多いかもしれない。
あんまり既婚男子の私がこういうことを書くとお前は ”ヤリタイ”ことを正当化してるだけじゃないかというご指摘を受けそうなので、 このくらいで勘弁して下さい。
結婚にこだわるのは一家を持つ家庭を持つ一国一城の主となる みたいな感覚の名残なのかもしれない。 でもこれは武家町人の考え方で農民は違ったようにも思う。 人間=戦力だから云々、、、とか。 人口増加=富国なはずなのになぜ一夫一婦制が世界の主流化しているのか? なんてとこまで考察したいのですが、テーマがでかすぎてまとまりません。 なんで今回は違いだけ、、、
LOVE IS POWER!

終わってから値切ってくるのは日本だけーまとめ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150922-00050162-yom-soci  「白紙撤回」された新国立競技場を巡り、日本スポーツ振興センター(JSC)が今年1月、総工費が3000億円を超えるとの見積もりを建設会社から伝えられながら、「ゼネコンの言い値だから下げられる」と判断していたことが分かった。 世界中どこでも見積もりのやりとりは熾烈だけど終わってから値切ってくるのは日本だけだ。出す方もそれ前提でやってる場合も多いしもはや商習慣。手前の値切りがどんなにえげつなくても、終わってから揉めないほうが気持ちいいのになぁ〜 「終わってから値切ってくるのは日本だけ」って話の続き: 帰国してもっとも感じたのは日本の持つ村社会感。身内で仕事を回しあうので見積もり自体がとても緩い。米の場合はどこまでいっても相手を信用してない。だからこそ見積もりが契約書としての重みを持つ。もちろん程度の差はあります。
先日、東京各地で撮影をしたんだが、基本なかなか撮影用の道路使用許可って難しい。では許可なしで撮ったら怒られるかというそうでもない。ところが許可ありでも苦情がきたら中止にしなければいけない。つまりルールを守っているかどうかではなくて社会的に迷惑をかけているかどうかという点が重要。
ルールで縛るのではなく、常識で縛るのだ。だからこそ行儀やマナーにうるさく、逸脱した人にたいして”空気”による圧力を加える。読めない場合は身内認定を外される。法治ではなく人治社会と言われる所以だよな、、、
安保問題もまさにそう。改憲かどうかでもめるならともかく解釈でもめるってことは、つまり国民全体の空気を決めましょうってことだ。白黒はっきりな米なんかには意味不明だろう。でもそれは良くも悪くも世界的には若干理解不能な寝技外交があってもいいんじゃないかとは思う。中国やロシア、さらにはアラブの外交だって相当にめちゃくちゃだ。自分の利益と都合を全面的に押し出して相手とぶつかって落とし所を見つける。それが”交渉”なんだと思う。
とはいえ狩猟民族や遊牧民式だと交渉決裂したら移動すればいいが農耕村社会の悲しさで、喧嘩をしても同じ場所に住んでいるので、どうしても妥協点探しが早い。 ってなふうになんちゃって文化人類学も交えて考察すると面白いですね。
極論すると隣村の見積もりは信用ならねぇ、値切って値切って値切り倒してびた一文儲けさせんな!でもおらが村の庄屋の息子の晴れ舞台にはご祝儀代わりにどーんと仕事振ったれってことです。
「見積もりなんて飾りです。庶民にはそれがわからんのですよ」 「終わってから値切ってくるのは日本だけ」って話の続きの続き: 固定化された村社会では行き場がないので、過酷な値切りをされても交渉決裂できない。なぜなら逃げ場がないのでその後の村での立場を危うくするから。騎馬民族や遊牧民族のリーダーが約束を反故にすればそのリーダーは二度とチームを組めない。
あ、ちなみにヤマト魂とかサムライスピリッツとかって言っていますが、日本人の多くは五代も遡れば7割以上が農民です。侍は1割以下。豪農もいたとはいえ祖先の半分以上が水呑百姓のくせに急に武士道とか、、、なんてね。
江戸時代という身分も所在も固定された時代が長かった日本では領主や国王といった権力者がころころ変わったヨーローッパや戦国時代とは違って被支配者である農民たちの立場は弱い。逃げられないからだ。戦国時代の農民は逃散といって結構簡単に逃げたり移動したりしたらしい。
だからお上から降りてきた公共事業の予算を村で回す。割り当てが少ないと言って怒って仕事を断ることはゆるされない。やるという前提には揺るぎはないのだ。参加は強制だし、ギャラも言い値だ。
なのでみなさん予算が折り合わないときはスケジュールを理由に断るというのが業界らしい。『やりたいのは山々なんですが、どうにもスケジュールが、、、』ってヤツです。
この説は若干妄想入ってるんでご使用にはご注意を、、、 まあ、いろいろ言っておりますが、日本のやり方がすごく嫌いかっていうとそうでもないです。特に我々のような完成品が不確かなものを作っている場合においてではありますが、、、まぁ職人職の方々のギャランティーは守られるべきとも思いますから、難しいところではあります。

2015年9月13日日曜日

Caleb Slainという男の話

米の片田舎に生まれフィルムスクールにも通わずに19歳で仲間と撮った作品で賞をとり21歳でMicrosoftのCMを撮ったこの男のレップをやって三年、今夏日本のクライアントにてグローバル用のCMをついに撮りました。
彼の感性もさることながら仕事への取り組み方や情熱には刺激を受けまくります。
ゴールへの到達方法を愚直に考え
た結果、行き着くのがベーシックだというのがいわゆる天才なんだろうなと思います。過去の天才が作り出した手法を集めたことを”基礎”として勉強させるのが”学校”なんだなと。つまり学校は凡人には必要でも天才には必要がない。
今、最も私を熱くさせる男Caleb Slain(24歳)と今回の来日で食べ忘れてたラーメンを食べました。3年後にはハリウッド映画を撮っていると思います。広告の仕事をしてくれるのはあと3年だと思いますので、お仕事の発注はお早めに〜彼の作品はこちらで見れますhttp://calebslain.com/
出会った時に感動して書いたブログがこちらです職業としてのエンターテインメント


お問い合わせは

日本:トボガン Kaz Shiangawa
International: Toboggan Inc. Keita Yamamura
http://www.tobogganz.com/


まで、、、

2015年9月7日月曜日

若気の至り

世の中がバブルで浮かれてる頃に無頼を気取って
バイトとギャンブルに明け暮れてたくせに
自意識高いぶって大学を中退して自分探しの放浪の旅にでて
SFで変な宗教コミューンに3週間はまったりカトマンズで沈没したり
NYのマクロビ料理店でヒッピーカブレの洗礼を受けてから
帰国して立派な底辺若者として日雇いで貯めた金で
再渡米したおれから言わせれば若者なんてバカで無知で傲慢なのは当然だ。
そんなこんなで国粋から極左からアナーキーまで
左右上下にぶれまくったあげくに今では資本主義の恩恵を
うけつつベターを目指しましょうな若い時なら反吐が出そうなことを言う
つまらん大人にはなれる。

シリアで富裕層が難民化して命がけで欧州を目指しているのを見れば、
そんなおれでも人生は楽しいなと思える日本は素晴らしいです。


月曜日が始まります!
via IFTTT