「最近の○○はだめだ、昔の○○は良かった」って言う人は自分の経験値が上がっている事を忘れてる、もしくは気づいてない場合がほとんど。感受性は刺激を受け続ける事で鈍化していく。”子供だまし”なものに感動しなくなる事が”大人”になるという事だ。ほとんどの物事は初体験に勝る感動はなく、繰り返す事で劣化して行く。子供の頃に時間が長く感じるのもこういったことが関係しているらしい。特定のモノや事象を経験則から客観的に比べる事は受け手側のバイアス自体が変わっているので無理。そしてそれを主観的という。自分の変化を棚に上げ、客観と主観をはき違え、時代や世代のせいにして文句を言って憂さをはらす人のなんと多い事か...。
変化自体は素晴らしい事、あがった経験値を還元する方向にシフトしよう。
それが”大人の役目”だ。
「最近の若者はダメだ」は昔から言われているが、特に今の若者はひどい。
まず、当事者意識が完全に欠如している。さらに、独り立ちをしようとせず、
常に何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけようとしている。
これはゆゆしき事態であり、日本社会のありかたにかかわる重大な問題である。
最近の若者は、定職に就きたがらない。
あるいは、会社に入っても一定のポジションで身を立てようとしない。
なぜなら、社会的なかかわりを、全て暫定的・一時的なものと見なしているからだ。
彼らに言わせると、本当の自分は別のところにあり、
現実の自分は仮の姿に過ぎないんだそうだ。
本当の自分は棚上げしておいて、いつまでも立場を替え、考えを変え、
自分自身をも変身させる余地を残しておく。
一貫した主義主張をもたないか、もたないふりをする。
特定の党派、集団に全てを賭けることを避けようとする。
小此木啓吾「モラトリアム人間の時代」 中央公論新社 1977年
「最近の若者はダメだ」は昔から言われているが、特に今の若者はひどい。
まず、当事者意識が完全に欠如している。さらに、独り立ちをしようとせず、
常に何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけようとしている。
これはゆゆしき事態であり、日本社会のありかたにかかわる重大な問題である。
最近の若者は、定職に就きたがらない。
あるいは、会社に入っても一定のポジションで身を立てようとしない。
なぜなら、社会的なかかわりを、全て暫定的・一時的なものと見なしているからだ。
彼らに言わせると、本当の自分は別のところにあり、
現実の自分は仮の姿に過ぎないんだそうだ。
本当の自分は棚上げしておいて、いつまでも立場を替え、考えを変え、
自分自身をも変身させる余地を残しておく。
一貫した主義主張をもたないか、もたないふりをする。
特定の党派、集団に全てを賭けることを避けようとする。
小此木啓吾「モラトリアム人間の時代」 中央公論新社 1977年