2013年3月2日土曜日

探し物は何ですか?

とかく色々な物事に正解があると思うことの弊害は大きい。これが日本人の特性で受験システムが生んだ弊害だと言うのは極論だとは思うけど、子弟制度や免許皆伝家元システムからくるマニュアルバンザイ思考あたりは無関係ではないだろう。

日本人の人生は極端な生き方以外ないのか

このブログにあるようなことも同じで「正解」が「いい大学にはいること」から「海外に行って経験を積む」ことに変わっただけ。

正解があると思うから、あるべき姿とか正しい姿を求め、そこにはまらないものは他人なら糾弾し自分なら落ち込むかマニュアル探しを始めてしまう。

目標を設定してがんばれば達成できるという考え方もしばしそこに至る正しい道筋、つまり正解があるという発想に基づいてるのでは。本当は目の前のことで結果を出して行くことで大きな成果を達成できる場合の方が多いのに。つまりはケースバイケースなので正解がない。

成功するかしないかなんて多分に運。とんでもなく成功した方々(ましてやそうでない...)の意見や方法論を真似したり話しを聞いてもあまり意味はないように思う。だってその人達じゃないんだから。

だからこそ普遍性を持つような昔からある名言って実は対になってる物も多くて、結局はケースバイケースってことなんですよね。

一石二鳥>二兎を追うもの一兎も得ず
腹が減っては戦が出来ぬ>武士は食わねど高楊枝

寸分違わぬ同じ物を手工業で作る場合等は長年に渡って育まれて来た経験値に基づいた正解値というのは確かにあるかかもしれない。でもそれって実は本当に高高度に純度をたかめた神業達人レベルのものだけで、具体的にモノをつくっていない仕事術とか処世術とかクリエィテブとか営業とかマネジメントとかとそもそも違うし、そこに至る道筋はそれこそ千差万別。

僕は仕事を教える時にあまり指示を出しません。というかほったらかし。「私のやり方」を他人が超えることは絶対にない。だって「私のやり方」だからです。私より上手くやれる訳がない。

トップが自分のやり方を部下に押し付けてると仕事にプラスを与えない。なぜならそれは同じ手法つまり同じ見方になってしまうから。違うやり方にイライラしながら進めるからこそ仕事の幅が広がって行く。自分のコピーはいらんよ。

基本、子供の教育に関しても同じです。これはこうなんだとはあまり言わないようしています、私はこう思うけど君はどう思う?というスタンスは大事にしたいなと思っています。

そろそろ万人向けの一般論的正解がないってことに気づいた方がいいと思うんですけど。
自分にとっての正解をどうやって探せるか?あるはずのない正解を探しているよりもよっぽど建設的なのではないでしょうか。

結局の所、何となく人生をうまくやれてる人とやれてない人の差はそこに気づけてるかどうかだと思う今日のこの頃です。(当然ですがうまくやれてるというのは経済的成功のみを意味しません。)






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