先日の南相馬市鹿島区でのボランティアでの避難所で出会ったおばあさんの話し。おばあさん自身は現在避難所ではなく相馬市の娘さんの所にいるらしい。
私達の炊き出しに来たおばあさんは私達が東京からであることを聞くと東京には来たことがないという。私が元気になったら東京においでよというと、家から何から流されて、ゼロからの出発なのに東京行ってる場合じゃないと言われてしまった。黙るしかなかった。
おばあさんの家は息子が漁師。形が悪くて市場で売れない魚と庭の野菜でほとんど日々の食事はまかなえる。米、肉などは物々交換というより贈与し合うことが多い。船にかかる必要経費を抜いたお金で、生活必需品を購入。土地があるから家賃もかからない、上記の通り食費もほぼゼロ。ほぼ自給自足+贈与経済だ。
こういう現実を見るまでは土地にしがみつく老人はそこら中で余っている公団に住んでもらえばいいのではと思っていたが、そんな単純な問題ではないことがよくわかる。このおばあさんが土地を離れて補助金で暮らしていくことは、たとえ村単位だったとしてもやはり難しいだろう。また息子さんがおばあさんを養い、新たに船を購入し、ローンを払いながら漁業を続けていけるかということもかなり難しそうである。特に福島沖の現状をかんがえれば余計(風評被害という意味で)
だが、日本が資本主義経済であることふまえマクロの視点で眺めれば、このおばあさんはいわゆる地下経済にあたるのではないだろうか。つまり日本経済に果たしている役割は魚を市場に出している意外はまったく数字に出てこない。逆に言えばこの息子さんの経済活動を助けることがマクロから見た復興の初手なのでは。
例えば事業用資金の低金利での貸し出し、漁業問題の展望、もしくは別の形での雇用確保など。おばあさんに関しては福祉として考えるべき問題もあるだろうな。
建てる場所に困っている上に期間限定の仮設住宅よりも雇用も確保できて長期的に住める場所を考えた方がよいのでは。
*私は経済の専門でもなんでもなく耳学問です。文中内に論理や用語に間違い等ありましたらご指摘いただければ幸いです。
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