2012年8月6日月曜日

ロシアより愛をこめて3(ロシア/モスクワ)

ロシア二日目の続きです。

ロシアのシェレメーチエヴォ国際空港(Международный аэропорт Шереметьево)に隣接したアエロエクスプレスの駅。開通当初は色々問題はあったようですが、現在は改善されて市内までは35分であっという間にベラルーシです。ド派手なオレンジのビルですが、駅名のサインはこの小ささ。

まわりはかなり寂れていて社会主義時代を彷彿させます。空港からではなく外からくると普通にここを通って駅構内に入ります。一瞬、”あってるか”が不安になります。

ところが駅構内は突然カッコいいです。アエロエクスプレスも近代的でNEXみたいな感じです。日本の場合はそれでも都内まで一時間以上ですが...。


あっという間のベラルーシ駅です。90年代初期にバックパッカーだった私のロシアのイメージはむしろこういう電車です。ゴルバチョフが進めたペレストイカからソビエト連邦は1991年にゴルバチョフが辞任して崩壊。翌五年にロシア連邦が誕生します。詳細はこちらをどうぞロシア。私が放浪していた当時(90〜92)は民主化への転換時期で闇ドルマーケットも凄まじい上に流通が混乱し市中にはモノがなく、メディアでは何もない商店に行列をなす映像が良く出ていました。パッカーの間では娼婦の値段が5ドルと世界で一番金髪が安いと噂されておりました。(下世話な話しですいません)

1870年に設立されて1909年にリニューされたベラルーシ駅です。なかなか趣があります。

後ろのおじさんも素敵ですが、出口を出て行く人が若干ふんぞり返っている感じがロシアっぽくて好き。


ここでガイドのウラジールさんと合流。流暢な日本語をしゃべられるウラジールさんは80〜84年の4年間、品川区東五反田に住んでいたそうです。なので私の名前をみて一体どんな人だろうとてもワクワクしていたそうです。すいません、こんなんで...。

移動用の車を待つ間からいきなりロシアの成り立ちのお話しです。それもかなり詳細に。大学のロシア史並みです。この大渋滞の喧噪の中で講義は始まりました。



実は私大学時代にロシア語を取っていたのですが、まったく大学に行ってなかったのでハラショーしか覚えておりません。家人も同じく大学時代にロシア語を取っていて、真面目に勉学に励んでいた(自称)彼女は若干ですが読めるし単語も覚えておりました。(そのおかげで市内でけっこう助かりました)
私の一夜漬けwikiよりも彼女の方が色々と理解をしていたりするもんで、うれしくなったのかウラジールさんは語りまくっていました。

ウラジールさんは当時ソビエトの国営通信社から派遣されて東京で記者をされていたそうです。当時は東西冷戦まっただ中で日本はバブル初期、ソ連の通信社で働いて...
「まるでスパイみたいですね?」
するとウラジールさんは笑いながら話しを変えて行きました。
マジか!そういうことなのか?

で、 このウラジールさんと一緒に赤の広場、ノヴォデヴィチ女子修道院、モスクワ大学、雀が丘やらなんやらまわるのですが、その辺はお約束のコースなんで詳細はガイドブックでも見て下さい。

赤の広場

ノヴォデヴィチ女子修道院


1893年代からあるグム百貨店内のアイス屋さんです。最初、けだるそうなロシアン美人なオネー様はおつりがないという理由で売ってくれなかったのですが。 ウラジールさんがロシア語でわーわー言ってこちらの小銭やらなんやらをまぜて購入できました。後ろに色々な味が並んでいますが、買えるのはバニラとメロンの二味のみ。色々と釈然としない旧ソ連を彷彿させますが、味は超絶美味かったです。赤の広場に隣接していて建物も素晴らしいので市内観光の際は是非。




ロシアより愛をこめて4に続きます


ロシアより愛をこめて1
ロシアより愛をこめて2







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