2014年3月9日日曜日

みもふたもないけどすべては才能です

最近気付いた事:

”「あの人いい人」=犯罪者でもないし突然叫んで他人に殴り掛かったりはしない人”
”「マスコミ終わってる」=オレの聞きたいニュースを流してくれない”
”「日本ヤバい」=とりあえず困ってないし、引っ越す気もない”

ぼーっと考えている事をまとめるために書き起こしてみます。

世間一般でいう頭がいい人、「学校の勉強ができる人」も、いわゆる「地アタマのいい人」もどちらも一つの才能で「お金儲けがウマい人」とか「会社で出世するのがウマい人」とかもやっぱり才能でそれぞれ別のものではないかなと思う。「アタマがいいからお金が儲けがウマい」という訳ではないような。

さらにいえば「人に優しくできる」「異性/同性にもてる」とかも、それぞれ別の才能。
つまり「人に優しいからもてる」わけではない。どれを何個持ってるかは人それぞれなんじゃないかと。大事なのは組み合わせと使い方。

100mを20秒だった人が練習すれば15秒くらいはすぐに切れるようになるけどそこから先はかなり才能に左右されるし10秒を切るとなれば相当に才能がある人でない無理だ。

ところが練習無しで10秒台の人がいるのと同じで「金儲けのウマい人」「アタマのいい人」というのがいる。そしてそういった才能を持つ人たちにはそうではない人がどうしてできないかわからない。「足の速い人」がいう極意が「右足と左足をなるべく早く交互に出すだけだからぁ簡単簡単」みたいなね。

努力を否定する訳ではないし努力なしで成長する事はないけれど努力すれば何でも叶うっていうのは”ウソ”だと思う。そして世間一般は努力=過程を評価しない。というような事を学校で教えようって言ったら大反対されそうですね。

成功した人の話が実はあまり役に立たないのはそういう事だよね。仮にボルトが書いた100mを9秒台で走る方法を読んでも99.99%の人は走れないと一緒で、成功した経営者の本を読んでも読み物としてはオモシロいかもしれないが実現性はないよなぁとは思う。

この方のブログがとてもオモシロいです。私の言いたい事をはるかにウマく説明してくれています。

*アメリカ在住20年以上なのに英語ヘタクソな私の英語論・断絶編
 私はこれから「身体能力」としての英語について語ります。つまり「足が速い」とかと同じような意味での「英語がうまい」ね。頭がいい悪いじゃなくて、筋肉や五感の使い方としての英語。
 皆さんご存知のように、私たち人間の中には、生まれつき「足が速い」人たちがいますね。
 と同時に逆の立場の人たち、つまり「足が遅い」人たちも当然存在します。
 「足が遅い」人たちは、練習すれば少しは上達します。でもオリンピックやハイレベルの競技会に出ることはまず無理。なぜなら、己の肉体がそういうふうにできてないからね。
 要するに私が言いたいのは「英語にも同じことが言えるのではないか」という点。「聴いたりしゃべったり」に限定するなら、英語を効率よく習得・上達するための身体能力としての「耳」と「舌」を備え持っていないのではないか、と。

続編が待たれるところです。

私も17年住んだけど下手糞です。でも無口や口べたと社会的地位、成功、モテ度は比例しないのと一緒で、つまり言語なんざ所詮ツールの一つ。

なので、個々の才能がない事を卑下する必要は全くなくて自分が持っている武器を最大現に生かせば意外とどうにかこうにかやって行けるようにはなると思う。特に 日本は苦手な分野の底上げだけはきっちりやってくれるから。引き換えにできない場合に落ち込むというコトもあるのかもしれませんが、、、

そういう意味では短所克服より長所で勝負して行った方がわりとウマく行く事が多いように思う。でも私の長所って何でしょって聞かれたら「知らんがなっ」と答えます。




今週のコピペ

「努力してくれた事に『感謝』は出来る。でも結果がなければ『評価』は出来ない」
努力を評価してくれるのは親と学校だけだってことを中学生位から教えてあげればいいのに。ヨクガンバリマシタ!


女の言う「彼氏出来ない」
っていうのは、自販機の前で
どれにするか悩んでることと同じそう。
男の言う「彼女出来ない」
は砂漠でオアシスが
見つからない状況と同じそう。


選択の中で悩むのと選択肢そのものが無い、この違いは大きい


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