2013年10月5日土曜日

あくび指南

知人の子供が天才少年(小六)棋士で6段(8万円)までゲット。
でも7段の免状試験100万円らしく思案中らしい。

業界団体にとって大事な収入源かもしれないけどこんな事してれば競技人口は減る一方でしょうに。
とはいえ切磋琢磨のモチベーションをあげるためという大義名分の元に「ほにゃらら道」の免状とか免許皆伝というビジネスは江戸時代から日本のお家芸ですから、、、、
ナンチャラソムリエとかウンチャラ鑑定士とかはその現代版。

こうゆう話を聞くたびに落語「あくび指南」を思い出す。天下太平の江戸の世では習い事が大流行り。人に迷惑もかからないと言う事であくびを教えるところま で現れたと言うお話。皮肉っぷりがよくてなぜか落研だった中学の時に文化祭で演じた事がある。なんでそんな話を選んだんだろう、なんともいやな中学生だ。



アニメーションスクールとか演劇学校とか声優学校とかしまいにはアイドル科とか全く実用性がねーじゃんと思っていたけど、音大とか芸大とかも同じかなと言う事に気付いた。

20年前にアメリカに行った時映画科があるのはすごいと思ったけど、年間約400万円の学費を4年間払うなら自主制作を年4本撮った方がプロへの道は近いような。先日ハフィントンポストLiveの幹部の方も同じ事をおしゃっていた。

だめだった場合のつぶしが大学の方が若干きくって程度だよな。なかでも芸大系の方が代理店なんかにもいけるから一番いいのかも。そういう意味では専門学校は大変だ...  手に職つかない専門学校行った人はみんなどうするんだろう。

先日、ある広告カメラマンと話をしていて、プロになるには熱意だけではだめで、ある意味自分が持つ思い入れを断ち切る、割り切れる人がプロになれるみたいな話になり盛り上がった。自分が好きなものを作って軒先に並べて誰かが買ってくれるのが職業アーティストだと思っている人が多いけど、そんなのはごくごくまれ、というか皆無と言っても誤差の範囲。どれだけ偉くなっても有名になっても必ずお金を払う人がいる訳でそちらを全く無視して仕事をする事なんてできない。

芸術だろうがなんだろうが見て、評価して、金を払ってくれる人がいてはじめて成立する。造るという作業そのものが好きな人がいることは否定しないがそれはやっぱりオナニーだ。で、他人のオナニーを見たいって奇特な人がいて、そしてそこに対価が払われた時点でそれはオナニーではなくなる。



で、次にくる、今度はこういうオナニーをしてください。それに応え続ければプロだし、否定すれば趣味だ。芸術ひいては職業のすべてがもしかしたらこういう事なのかもしれない、、、

ところでおれはなんでオナニーの話をしてるんだ?


冒頭の少年がプロになりたいのであれば100万払ってもらうアマ7段の賞状に意味はなく、とっととプロ試験を受けるべきだ。すべからくゴールを何処に持って行くかで辿るべき順序は実は決まっている。

プロ棋士のように100%の実力社会ならいざ知らず、一般社会はもう少し複雑だ。結果として芸術を志すとしてもその過程として大学へ行く事がかならずしもマイナスの選択肢ではない。大事なのはそこで学ぶ何かではなくネットワークとコネのため。であればこそ、すこしでも上位で有名なとこほどよりより強力なコネやネットワークが得られる。

もしくはそれらすべてを否定して圧倒的な結果をだすとか、、、
いきなり海外の有名な賞をとるとかコンクールで優勝するとか。

いずれにしてもコンテンツ産業(映像、音楽音声、ゲーム、図書、テキスト、画像)でも13兆円位しかないんです。ちなみにトヨタはグループ連結で20兆円。さらにいえば映画産業の売り上げって2000億を切っている本当に小さな小さなマイクロ産業。派手に見えるが非常に小さいエリアでみなさんしのぎを削っている。。

結局何が言いたいのかわからないが、給料とか待遇を考えるならこの業界にはこない方がいい。資格や免状は個人的自己満足と知らない人へのハッタリ用という意味に置いては価値がある。って言っちゃうと言い過ぎ?







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