映画の事件が起きたのが96年で、その6年前の90年、
私が23歳紅顔の美青年バックパッカー時代に
エベレストのベースキャンプ手前まで行ったことがある。
当時は5500mのベースキャンプまでふつうのトレッキング許可で登れた。
お金のある人はルクラ(標高2846m)まで飛行機。
そこからはベースまで3ー4日位だったと思う。
僕はお金がなかったのでカトマンズからバスで1日、
徒歩(もちろん山道)で3日かけてルクラ入りした。
ここルクラは空港のおかげでエベレスト登山の出発点として
結構な大きな村だった。
世界中の登山隊が置いていった登山用具や
缶詰なんかも売っているし、ホテルもある。
多分、今ではもっともっと栄えているだろう
(地震の影響が心配ではありますが)
この村で二日間ほど3000m越えの高地慣れハイクをしてから、
ベースキャンプを目指すというのが一般人向けのお決まりコース。
当時(今も)、私は登山のど素人な上に
山を舐めまくっていたので、
装備はエアジョーダンにアーミージャケット。
リュックこそカトマンズで仕入れた登山用だが
寝袋は釣り具三平で買った1980円のペラペラ。
ベース手前(確か5200m位)まで
テントに泊まるわけではなくて
山小屋泊(ルクラまでもそう)なんでマットなんかは必要ない。
といっても板張りの上に雑魚寝だけど。
ベースから先は登山(Climb)、ベースまでは山歩き(Treck)でしょ!
なんて、どっちもやったことがないのに嘯いてましたw。
若さは馬鹿さ、、、
登ったのは3月末だったので夜は寒くて持っていたものを全て着て
リュックにも足を突っ込んで寒さをしのいだのを覚えてる。
最後の最終山小屋からベースまでを
日帰りでアッタクしてミッションコンプリートです。
当然映画ではその辺はあっという間で
まるでピクニックのように登っているんですが
素人にはとんでもなくきつい行程である。
事実、標高差は2500m以上あるわけで尾根伝いに行くので距離もそれなり。
日本アルプス縦走くらいはあるんではないだろうかというような話を
したのを覚えているが、未だに日本アルプスを縦走していないので
正しい比較かどうかはわからない。
私は結局ベースキャンプまでは行けなかった。
最後の山小屋出発時ぼやっと痛かった頭がベース目前の
休憩エリアでは凄まじく激しくなり、どうにもこうにも歩けなくなった。
そう高山病。
一歩ごとに後頭部をバットで殴られているような感じ。
映画のように咳き込みまくり、フラフラになった。
高山病の最良の対策はとにかく高度を下げること。
結局ヘリを呼ぶなら4000ドルと言われ貧乏旅行なんで
そんな金は払えんと歯を食い縛って歩いた。
と言えば聞こえはいいが一緒に登っていた人々に引きずられるようにして降りたのだ。
山小屋で仲良くなるとペースが同じだと行動を共にするようになってくる。
この時に出会った人々とはその後二度とお会いしていないし、
今では連絡を取る術もないが、25年近く経った今でも鮮明に覚えてる。
*バンクアカウントをいつも気にしていた長身のイギリス人。
高山病になって遅れがちになった時に
「俺を置いて先に行け」と言ったら、
「お前を置いていけるか!」と返してきた熱い男。
事実、最後まで僕を引き摺り下ろしてくれた男。
(やり取りは脳内妄想演出あり)
*アメリカ人のハゲオヤジとぽっちゃりしたノルウエー娘のカップル
元米兵の彼氏は山登りは嫌いで彼女に嫌々ついてきたのでルクラで待機。
めちゃくちゃ仲良くてなんか微笑ましかった。
*大学山岳サークル出身の爽やか日本人青年
当時流行り始めたフリースを着ていて羨ましかった。
フリースとゴアテックスの組み合わせ最強説を教えてくれたのは彼だった。
ちなみにその時私はオールコットン。彼がさすがにこの先でその装備は
寒いですよとの助言に従ってルクラでヤクのポンチョを買った。
*カレー屋さんでバイトするバックパッカー君。
前年にトライして川の水を飲んで腸チフスになり、
ネパールの病院に運ばれるもそこが嫌で
タイの病院に入院したという経緯を持つ筋金入りのバックパッカー(?)
トータルで2週間くらいヒマラヤ山中に居たけど上記の
メンバーとは10日以上は一緒にいたと思う。
もちろん他にも山小屋では様々な人と語り合った。
当時の私は旅先で覚えた超ブロークンな英語(他の二人も似たようなもん)
だったけど、なんとなく意思の疎通はできたし毎日楽しかった。
その他に山小屋で出会った人々は様々だった。
*姿勢のいい老フランスハイカー
山小屋では登るにつれて料金がとんでもなくなっていく。
スタートは一泊+チャパティと紅茶の朝食付き50円くらいが、
最後の山小屋は300円くらいになる。
ちなみに当時のカトマンズだと上記のセットで30円くらい。
輸入物であるコーラはめちゃくちゃ高くて500円以上(街中でも300円位だった)
を超えて、ルクラより先では食材も減るのでオムレツも2000円を超えていた。
そんな中で彼は姿勢良くナイフとフォークで
丁寧に優雅にそして綺麗に2000円のオムレツを
ヒマラヤをバックに神々しく食べていた。
よく考えればリッツの朝飯の方がよっぽど高いんだから大した話でもないんだが、
さすがフランス人、貴族だなって思った。意味不明ですねw
*定年退職した日本人老父婦
シェルパを雇ってのんびり旅行している人はそれなりにたくさんいたけど、
ネパールで聞く人なっつこい関西弁が素敵だった。
彼らからもらった都こんぶは果てしなく美味しく、
日本の味のみならずアミノ酸の味に飢えてたから涙が出るほど感動した。
*ヤッピーニューヨーカー
高山病でベースキャンプから引き返した時の宿で出会った。
ウォーホールの映画に出てきそうなオタクっぽい感じで、
高山病にはこれが効くと言ってコ**を出してきた。
おいおいそんなもんアジアまで密輸したんかよ!
マイケルJフォックス主演の隠れた
名作『再会の街/
ブライトライトビッグシティ』の応用編のようでした。
*金髪で小柄なスイス人看護婦のバックパッカー
コ**を勧めるニューヨーカーの横でヘリを使う事を
強く勧めてくれたスイス人の看護婦。
めちゃくちゃ可愛かった。
君と一緒なら乗るよと勢いで言いたくても頭は痛いし咳き込むし、、、
「クッー」体調がよければ俺だって、、、
(というのは嘘で元気な状態では声すらかけられない)
当時スイスの国旗をリュックに縫い付けた
女子二人連れバックパッカーって世界中に沢山いて、
日本人パッカーの間ではフリーセックスを謳歌しているので、
もっともチャンスが高いパツキンとまことしやかに言われてました。
(下品ですいません)
そもそも僕がエベレストに登ろうと思ったのは日本人初登頂者
植村直己さんがエッセイに書いていた頂上アタックの前に
テントの中でオナニーしたって話に感銘を受けたからで、
5500mアタック手前の山小屋でする事を決めていた。
ところが昇りの時には疲れて寝てしまい出来なかった。
若干朦朧とした意識の中で帰りの今ならスイスねーちゃんをおかずに、、、、
あ、コ**をもらえばひょっとして、、、
若さは馬鹿さ、、、
(重ねて下品ですいません)
その時の刷り込みは今でも根強い。
銀行の心配をするイギリス人、スカンジナビア半島にもポッチャリはいる、
フランス人は姿勢が良くて綺麗に食べる、日本人は大名旅行で、
ΝYカーはコ**好き、スイス人は優しくて可愛い、、、
まぁ大正解でもないけど大きく外れてもいないね。
映画の中で、
なぜ山に登るのか?
に対するやりとが出てくるのだが、
かの有名なジョージマロニーの
『そこに山があるから』
ではなくて
『私は登れるからだ』
というのはかっこよかった。
俺なら
『山とのセックスです』
って言うかなw
僕らの頃もその兆候は出始めていて、
映画でもその辺が描かれているんだけど、
ちなみに今ではこんなことになっているようです。
映画の中で主人公ロブと組むスコットは、
渋滞を避けて一緒に登ろうと提案するロブに対して、
「みんなを安全に登らせる君とはスタイルが違うよ。
僕は登れない奴は登らなければいいと思っている」
(*結局どうするか映画を見てのおたのしみください)
これってある意味、究極の命題だったりもする。
お腹が空いた人/息子に
釣りを教えるのか?釣ってあげるのか?
お金をもらっているサービス業と
親子関係のような教育の場合でも答えは違ってくるだろう。
僕自身はなるべく人や物に頼るのが嫌なので、
ハイテクギアに身を固めてツアーで登るスタイルが
どうにも馴染めない。今では時間がないということも
あって、昔よりは随分頼るようになりました。
単純に金がないってこともありましたが。
以前は本当になんでも自分でやっていました。
こりゃ、死ぬ前にもう一度アタックです。
と、思っていましたが、こんな渋滞を見たら多分行きません。
みんながやることはやらなくていいや。
いっその事K2に挑戦します(嘘です。無理です)
先日の地震の影響がおそらく今でもあるとは思いますが、
ネパールは是非とももう一度訪れたい国の一つです。
映画はもうすぐで公開終了なので配信やDVDに
なったら是非!