日本人がニュースの時に起こした事そのものよりも人物に関心が行くのは、
もしかしたら村社会だからじゃないかと言う風に考えています。
*知っている誰かには関心がわく、知らない誰かには興味がない
*ゆえに何かが起きた時にはそれが誰かを知りたい。
*そのためにその人物を徹底的にクラスタ分析
なので学歴、出身地、所属団体、などにこだわるのも共通項を見つけて同じ共同体かどうかを確認したいからでは。それが抽象的な事でも同じキーワードでくくれば構わない。
(今回で言えば「リケジョ」「女子」「おばぁちゃんこ」あたりだろうか。)
同じ村(共同体)にいるかどうかもしくはどのような村の出自を確認する事で安心する。いわゆる氏素性を確かめたいので。一通り度言う人間が確認し審査にパスしてめでたく共同体に入れれば同族と見なされる。
まだ、ちょっとまとまっていないのでいずれまた、、、
小保方さん報道関連時系列まとめ
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なにかを伝える時にそれがテレビであれマンガであれ更に言えば広告や商品すら、「自分が伝えたい事
を伝えるのか」「人々が望む事を伝えるのか」は似てるようで全く違う。前者は作家、監督、技術者に多いし後者はプロデューサー、編集、編成に多いような気
がする。その折り合いをつける前段階のもみ合いは果てしなく楽しい。
リケジョに対する切り口でネットは盛り上がってますね。「女性ならでは?」「男に交じって」「泣いた」とかは確かに男性研究者だったら聞かれないだろうけど、それ以外のどうでもいい事はほじくられるだろうし、大衆が求めているであろう事は間違いない。だからいいとは思わないが、、、この辺が新聞含めてニュースとワイドショーの違いは難しい。
画期的なブラや生理用品を開発した男性研究者は絶対にいると思うが、取り上げられないのはきっとそれは求められていないからかもしれない。
小保方さん偉業達成おめでとうございます!!
理化学研究所の小保方晴子博士が新たな万能細胞であるSTAP細胞の作製に成功したと発表
のニュースの翌日くらいにツイッターに書きました。
で、その翌日には
『STAP細胞研究の小保方晴子博士が「研究活動に支障が出ている」と報道機関にお願い』
ここまで追い込むってどうよ、、、
正直作文が出て来た辺りからきな臭さを感じてましたが、やっぱりこうなる。某スポーツ選手のが出回った時もそうだけど、あれだけシェアしまくられると言う
結果があれば、入手するのがマスコミです。手段を問わずにね。シェアされる、記事が読まれる、視聴率が伸びる。それは支持されていると考えるからです。
そして大衆はマスコミの起こした結果に対してのみ節度を持てと言う。マスコミを突き動かしてるのは一体誰ですか?
何度も書いてますが、マスコミも政治も民度に比例します。
と私も書いたりしていたのですが、更にはこんなブログも
リケジョ報道が問いかける「テレビと視聴者の共犯関係」 #BLOGOS
今回の小保方さんのSTAP細胞作製成功というニュースに苦情を呈する人だって、実は「もうあんまりテレビ見なくなった…」っていう人が多くて、逆にテレ
ビのヘビーウォッチャーは、ああいった伝え方に慣れていたり、好きだったりして、違和感なくニュースを見ていたのかもしれない。でも、そうすると、ますま
す人々のテレビに対する態度の二極化は決定的になり、テレビは現存するテレビファンのニーズだけを満たせばいいことになり、変革は起きにくいということに
なるのか。
(本文より)
TVどうなの?って思ってる人はそもそもTVを見てないし、期待もしてない。見てる人は見ていてわりと満足してるっていうのは良く聞く話ですが、つまらないと感じるから見なくなったのかオモシロいと感じるから見るのかは卵と鶏の議論になりますね。
かつてTVはバカ製造機と言われていた。糸井重里が作った伝説の名作RPGゲーム「Mother」(1989) で室内に置いておくとみんなが見とれてしまう不思議な箱という設定で出てきてうまい表現だなとリメイク版(2003)をプレイした時に改めて感心した。