2014年2月21日金曜日

冬季五輪、、、

そもそも「オリンピックどうよ派」としては芸術点とか飛型点とかいう客観的指標になり得ないものばかりで評価される冬季五輪はさらに、なんかな〜って感じです。

道具に金がかかるスポーツばかりで裕福な国しか出て来れないのもアレですね。

それでもこれだけの人が感動するオリンピクってやっぱり凄い。

多くの人を感動させているのはうしろにあるドラマ性だと思う。背景のドラマに人々が感動すればするほどメディアはドラマ性のために背景をより深く探ったり、演出したり、偽造したり、ねつ造したり、、、、つまりドラマを求め作り出してしまう。

ここでいうドラマとは
誰:例)好きなアイドルがいればその人が何をやっても断固応援
個人の持つ境遇:例)苦労した、貧乏、など

なども含みます。

ドラマ性をすべて排除して全くの無名の人が行なう芸術で一体どれだけの人が感動できるのだろうか、、、アメリカのTVで、天才的有名バイオリニストが駅で演奏してもほとんど気付かないというような事をやっていた。



本当の芸術を常時理解できる人は本当に一握りで、あとはやっぱり背景にあるドラマを惰性で見てるんじゃないだろうか、、、常時というのは何かに感動するのはこちら側の心情(辛い時苦しい時)や状況(誰とどこで)など大きく左右されるからです。
例:辛い時に見た/聞いたから元気になった

芸術に限らず、ほとんどの事は「誰がどうしてやっているか」が「完成したモノやコト」よりも優先されるんですよね。

だからこそお金と言う客観的指標データーは優遇される。というよりも他に使い勝手のいい指標がない。純粋な意味で言えば「何かをする感動する」それだけで成立するのが芸術だと思うんですけどね。

なんてね、そんなことで世の中が回らないのは百も承知です。

そしてそんな事を承知の上で死にものぐるいで戦っている人々は当然ながら賞賛されるべきで、それらの努力を冒涜するような発言をする人に関しては激しく品位を疑われてしかるべきだと思います。


森元首相、真央に「あの子、大事なときには必ず転ぶ」


しかもこの人が「東京五輪・パラリンピック組織委員会会長」
何だよね、、、。
ここまで理解がない人に任せていいのかははなはだ疑問だ。

追記:
全文読むと少しニュアンスが違うんですね。見事に転んでいるのはこの人自身でした。

【ソチ五輪】森会長の発言要旨 「真央ちゃん、見事にひっくり返りました」

日本が勝てる見込みのない団体戦だが浅田真央をだし彼女がそこで三回転半を決めてくれれば勝てる可能性があるので出したが、結果は彼女がその期待に応える ために頑張りすぎたために転んでしまった。だから出すべきではなかった。と言いたいところに余計な思い入れがプラスされすぎちゃってんですね。


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