初めてプロデューサーとして完パケ納品まで仕上げた作品は
FantasticPlasticMachineのBeautiful Daysでした。
基本、海外のコーディネーターは撮影部分しかやらないので当時ポスプロの知識はほぼゼロ。00年に入った位からCGなどの依頼も増えました。
日本の納品形体と米国のそれが違うので同業者どころか日米双方の編集スタジオ等に聞いてもわからな い。本当に手探りで納品までこぎつけた。
今思えばずいぶんめちゃくちゃだけど教えてくれる人が誰もいないのだからしょうがない。でもこの仕事は今でも誇り に思っています。
17年ぶりにお会いした田中知之さんはやっぱりめちゃくちゃかっこ良かった。
FantasticPlasticMachineのBeautiful Daysでした。
基本、海外のコーディネーターは撮影部分しかやらないので当時ポスプロの知識はほぼゼロ。00年に入った位からCGなどの依頼も増えました。
日本の納品形体と米国のそれが違うので同業者どころか日米双方の編集スタジオ等に聞いてもわからな い。本当に手探りで納品までこぎつけた。
今思えばずいぶんめちゃくちゃだけど教えてくれる人が誰もいないのだからしょうがない。でもこの仕事は今でも誇り に思っています。
17年ぶりにお会いした田中知之さんはやっぱりめちゃくちゃかっこ良かった。
若造だった私にチャンスをくれた監督の木乃村美穂さんにも大感謝です。
ちなみにこの作品は木乃村監督デビュー作でもありこの年のスペースシャワーTV賞を頂きました。これをきっかけに木乃村監督とは沢山のMVやCMを一緒にやらせいていただきました。とにかく制作会社にいた事が無いのですべて手探りでしたがたのしかったなぁ〜。
当時の私は渡米五年目30歳体重90キロ。田中さんのDJワークを見ながらいろいろと感慨に耽っちゃいましたとさ、、、
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