2011年11月12日土曜日

甘っちょろい理想主義者ですが何か?

"フセインもビンラディンもカダフィも負の連鎖しかうみ出せない政治的解決よりも、せめて民間レベルでは建前論的幻想だとしてもLOVE&PEACEを求めたい、甘っちょろい理想主義者ですが何か?"

10/21の書き込みで盛り上がったのでそのまとめと考察です。

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FF: ソビエト崩壊後の東欧の崩壊プロセスを、今回も繰り返しております。なぜ、人は歴史から学ぼうとしないのか?と、独裁者の悲惨な末路にチャウシェスク大統領の映像が重なって見えました。この10年で世界は平和になったのか?と問われると、かつての方がましだったようにも思えてなりません。

MT: 民間。ってカテゴライズが、あまり合っていないような気もします。

Kaz: 政府への対義語として民間という言葉を使いました。個人と言い換えてもいいですが...国家を代表する政府という組織では解決できないような気がしているからです。国家の利益を優先せざるを得ないので。建前論的幻想とは企業や団体が文化や経済を通じて動きを活発にする事で達成できるかもと思っているからです。うーんちゃんと煮詰まってないですね...。国際政治は複雑なパワーゲームがすごくて謎が多過ぎる。で、一連の流れがなんか違わねーかって思ったって事です。m(>_<)m

Kaz>FF: ゆっくりとですが進歩しているのではというのが私の考えです。ただ未だに強国の論理が世界を動かしている事は変わりないですね。そもそも人類史上世界のどこにも戦争がなかった時代というのはほとんどないという悲しい事実もありますし。。。

MT: 国家間の経済依存が高まっても第一次大戦のように戦争が起きますからね。太平洋戦争も炊きつけられた世論に政府が後押しされる形で戦争に踏み切ったという説もありますし。難しいですね。

Kaz:そこなんですよね〜。  ナショナリズムと言う名の下に集まる空気は怖いですよね。結局個々の意識改革しかないのかもしれませんね。

MT: 今回の震災が契機となって、色々な連帯が進み戦後の世界とは違った世界に進めるかと思ったら、個々人のレベルでもいがみ合い、足の引っ張り合いですからね。ネットの発達で情報量が格段に増えても。議論の材料にするのではなく、自分に好い気分をもたらす情報しか摂取しない。ちょっと悲しくなりましたが、自分の信じるところを進むまで。と考えています。

YM: 自分はナショナリストではなくパトリオット。国対国民とゆう対立構造じゃなく国民=国家だとおもっています。だから自分個人が国にたいしてなにができるのかな?とおもったりする。かずさんはもうそれをやっているのでー国家に対立しているわけではなく一つの家族のような国に家族の一員として真摯にはたらいているのだとかんじます。国を思うことがなにが悪いのだろう。

Kaz: 熱いですね〜!だんだん書いて答えるのが難しくなってきましたね。
MTさん今度ユースト対談やりませんか? なんか楽しそう!

Kaz>YM:ここで簡単に書けるようなことでもなくなってきたので、そのうちにブログででも書きますね〜

MT: いやいやいやいや、ただの勤め人っすよ。ネタもたないっすよ。

(誤字脱字は修正しています)
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最後はMTさんに逃げらちゃいました。実はこの方とは一度しかお会いした事がなく、その時も余り話せませんでした。その後FB上で良くやり取りをしているのでぜひともゆっくり色々と話したい方の1人です。

私が元々この書き込みで伝えたかった事は国民国家主義上での政府という集まりが行っている事は武力による解決が多過ぎるので、企業を含む個々の意識改革でより良い社会を生み出せないだろうかという事です。FFさんがおっしゃるように第二次世界大戦も直前まではこれだけ経済が密接に結びついていれば戦争は起きないと言われたのに、実際には起きたという事を指摘しておられます。
しかし現代はそのとき以上に経済、文化、個々人に至るまでが密接に結びついています。さらにはネットを通じてあらゆる事が”晒される”ようになっている事も大きいと思います。未だに陰謀論を語る人もいますし、実際に多少はあるでしょうが、現在はそれすらを許さないスピードでは大衆は力を持ち始めています。
となれば次はその大衆が衆愚とならぬような教育と意識の変革が大事なんだと思います。ただこれを今までのように1人の天才革命家(ヒーロー)が現れて民衆を始動していくと言うような事は限りなくあり得ないと思っています。誰か一つの行動がネットで晒され共感されれば大きくなり、常に世界中からジャッジされ監視され評価され続ける訳ですから。つまりは人類の持つ自浄能力が働くようになっていくと信じたいです。

例えば、拘束される様子を公開したり、罰金の支払いをネット上で賛同者を集めたりと言った社会活動を行っている中国のアーティスト、アイウェイウェイ氏の活動スタイルは天安門の時のウーアールカイシとは明らかに違います。
詳細はこちらを是非>*その男、危険につき ow.ly/7r2vj

このようなことを可能にしているのがネットというテクノロジーである事は間違いなく、
あきらかに今までにない強力なツールを現代人は手に入れていると私は思っています。
そしてこの巨大な情報網と双方向性は巨大な思考実験を繰り返しつつ、次に人類が進むべきを道を示唆していくのだと思います。

人類の歴史とは”破壊と殺戮”>>移動>>”創造と建設”を繰り返しています。
最初の部分をなくすような選択をしていきたいですね。 そのためにも意見を発しつづけていきたいと思っています。

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