2012年1月22日日曜日

冠婚葬祭について考えてみた

最近起きた弔事で色々な日本の古いしきたりや習慣を学んだのだが、形骸化しているもの、なるほどと思えるもの様々です。自分と身内だけが納得してればいいやというわけにも行かない所が冠婚葬祭事の難しい所です。

タブーとされている事には仏教と神道がごちゃごちゃになっている事が多く、やっぱり日本は神仏混合でそもそもの矛盾を受け入れて生活してるんですよね。例えば年末行事は除夜の鐘(108の煩悩)という仏教儀式で終わり、年初は初詣という神道の儀式ではじまる。

子供が生まれた時のお食い初め、七五三、成人式、結婚式などめでたい事は神道が多いですが。お盆(古神道と融合?)、法事、葬式等は死にまつわる事は仏教系が多い。そもそも仏教では死を穢れとは考えない訳ですが神道的に概念がまざってごちゃごちゃになっていたり、、、。塩は神道的な考え。

喪中という仏教的な考え方とお正月という神道的な儀式を祝うことへの遠慮。もちろんそもそもそんな気分になれないという場合のほうが多いとは思いますが...。

つまり仏教と神道をベースに生活に根付いた作法が混ざり合ってなんとなく規範が出来上がっているのが日本なんですね。地域性もそれなりにある事を考えても意外と一般化されていない迷信事も多そうです。

と言ったような事をFBに書きました。すると沢山の書き込みを頂きとても興味深いものが多かったのでまとめておきます。
*オレ/私の書き込み外してくれな方はご一報ください。KAZは私です。

K.F.
まさに日本人のいいとこどりの典型なんでしょう。料理の世界にいても痛感します。
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Y.D.
かなり柔軟ですよね。僕神道で、仏式のお葬式の時に数珠を持っていくか悩んだのですが、相手側にあわせるようにと神主さんに教えてもらいました。
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KAZ
まさに和洋折衷とかもそうですよね。
仏教内でも宗派によってはかなり違いますからね。
たしかに神道やキリスト教のお葬式にはどうするか?
みたいな事も微妙に悩みますが、
結論は相手に併せるというのが
正しいような気もします。
アメリカにいた頃は幸いにもそういう場面がなかったので、
どんな感じか興味ある。
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Y.D.
そうですよね。ただあとで思ったんですが、仏式のお葬式に行って、自分が神道だからってお焼香を断って玉串奉奠なんてできないか、自然と相手側に合わせてたんです.
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K.M.
お願い事する時は、「神様 仏様」と唱えますからね
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K.H.
こういう所の日本の曖昧さが好きです。
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H.O.
まぁ日本人のいいとこと言えばいいのでしょうか?
古来日本は神道の筈ですが、仏教が浸透し始め、鎌倉新仏教で一気に広まった。私も私もという隣にもしくは相手に合わせる形ではないでしょうか(^_^;)
でも、ここまで日頃の生活に根付いてないのは、ある意味凄いかも。でも外国の方から見れば、初詣や七五三等々の儀式をやってるのを見ると、「なんて日本人は真人深いんだ!」となるんでしょうね(笑)
米国ネブラスカの大学にいた頃に現地の人と、タブーとされる宗教の会話をしました。
日本人に対して上の様な事を言ったので、私はアメリカン人のほうがちゃんと毎日お祈りして、教会にも行って真人深いと話したら、「だったらクリスチャンハイスクールに託児所があるのは何故だ?」だって(笑)
そんなものかも知れない。
基本、生きていく為の道具だとしか私も、その人も合致した意見でした(^_^;)
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N.I.T.
仏教系のお葬式に限っていえば、特に田舎では宗派による違いが明確です。地方性もプラスされますし。ご焼香の方向などは基本、相手に合わせるますね。
わたしの場合、旦那方とうちの実家で宗派が違うので、数珠を2種類持っています。
面倒だなと思いつつも、キライじゃないというか、宗派間の違いや地方性って、まさに日本的で面白いな~と思ったりもします。
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S.I.
おっしゃる通りですね そー思いました。まさにいいトコ取りの日本人の精神ですかね
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K.I.
仕事柄色々な宗教、宗派のお葬式、納骨式などに立ち会いますが本当に日本は多様だと思います。仏教の同じ宗派でもご住職によって式の進行が変わったり、お墓詣りの時の作法も違ったりします。お墓の作りも形にばかりこだわり、本来の意味を見失っているようなものも見かけます。まあ、私的にはそれぞれの方が本来の意味をみつめて、心の拠り所となる落ち着くものをみつけられれば良いのかなと思っています。
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A.H.
今日、お寺の住職とちょうどこのお話をいたしましたら、「神仏分離令」で神と仏を明確に分離する動きが出たけれど、それまでの流れではお寺の中に神社があったり、神社の中にお寺があったりしていたんですって。(「神宮寺」と言われるものとか、○○寺の中に○○大社とか○○八幡宮とかがあったり。)
だから、現代になって「仏教」「神道」と切り分けた上で慣習の面から遡ると、なんだかクリスマス同様?! 現代人が都合よくごちゃ混ぜにしている感覚を持ってしまいがちだけれど、神道と仏教に関しては、もともと長い歴史の中で「神仏習合」だったという経緯もあるらしいです。ものすごいざっくりですが、取り急ぎご報告!間違っていたらごめんなさい+長くなっちゃってごめんなさい。
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Kaz
時代や生活スタイルの変遷に合わせて同じように変化してるんでしょうね。わたしも今日お寺で色々と話しを伺ったのですが、儀礼や儀式がネットで調べたものとけっこう違っていました。本当に様々でこれが正解なんてないんだなと思いました。相手に不快感を与えなければいいとは思うのですが、意外とこれが難しかったりもするんですよね。想いもよらず、スレが伸びて楽しいです。
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A.H.
うん。こんなに狭い国なのに、松の内の日付が地域によって違うくらいですからね!(←全然関係なくてごめんなさーい!)
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K.I.
仏教と神道が分かれたのには政治的な背景があったのだと思います。仏教は大まかに言えば現世の身分の違いに関係なく亡くなれば皆平等といった考え方だったので、明治政府は天皇を頂点(神様)として位置付けて国民を統治するのには神道の方が都合が良いと考えたということですね。ところで、お墓にお参りするときに墓石にお水をかけたりしますよね?あれも地域性だったり住職の考え方だったりで、良しとするところと無作法といわれてしまうところがあったりします。ここでも結局は相手の慣習に合わせるの正解なのかなと思っています。
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R.F.
間違っているかもしれないけれども、日本の宗教(仏教、神道)はその曖昧さとエクストリームでないという面があるからこそ、他の国で抱えるような大きな問題が起こらずに済んでいるのだと思います。だって、仏教徒ではない外国人とか禅寺で座禅とか組ませてもらえるし、神道では外国人だってご祈祷してくれるじゃない?カトリックの教会なんて、そんな寛容なことしてくれませんよ。信徒でないものははっきりと差別されます。もちろん戒律が厳しいのはカトリックだけではないけれども。
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Kaz
お水をかけちゃ行けない宗派もあるんだ!
日本の曖昧さはそもそもヤオヨロズの神様から来ていてもともと多神教だからという説もある。
神道はギリシャ神話と一緒でアニミズム+神話+歴史的記述、的なもんだし、仏教は聖徳太子が政治的に利用するために持ち込んだものでもある(諸説あり)”ほっとけほっとけゴミヤがとおる” 
ちょっと面白くなってきたからブログにもまとめますね。
さらなるご意見お待ちしております。
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K.I.
墓石に水をかけるかどうかは主に墓石に宿る魂をどう考えるかにあるみたい。亡くなった方の魂なのかそれとも仏様が宿るものなのか。亡くなった方と考えるなら例えば「おー、お父さん今日は暑いから水かけてあげるからね」みたいな感覚でしょうか。仏様と考えるなら「仏様に頭から水をかけるとは何事か!」となるようです。これは主に仏教の方でおこる事で、神道だと基本的お水はお清めなのでほぼOKでしょう。無難なところでは直接墓石に水をかけるのではなく、花立の間に水鉢といってお水をお供えするものがついているので、そこにひしゃくから水をたむければ、どのような場合でも失礼にはあたらないと思います。すみません、本題からちょっとはずれたね。
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みなさんけっこう興味ある題材だったようで、この盛り上がりは予想外でした。
改めて仏教も宗教なんだと感じている今日この頃です。



 

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