2015年6月8日月曜日

天才は夢じゃなくて現実を生きている

昨日AKB総選挙について書きましたが、
同時刻に裏では炎の体育会TVをやっていました。

宮川大輔がマイクタイソンに会いに行くという、
これはこれでなかなか面白かった。
最後に日本の皆さんに一言と言われて、、、

タイソンは

「諦めなければ夢はかなう」

的なことを言ったのですが、
それを聞いた息子がポツリ。

「成功した人ってみんなそう言うね」

さすが我が息子、物事のポイントを見抜いてる。
それとも単に中学生にありがちな
なんでもうがってみるリアル厨二病的思考なのか。

いずれにしてもまさにその通り!
叶ったからこそ言えるのだ。
強烈で圧倒的時事実の成功事例を持つ
”叶った人”はなんとで言える。

だから高橋みなみのいうところの

「努力は必ず報われると、
私、高橋みなみは、人生をもって証明します」


は非常に逆説的である。


作家や役者などのようにある程度年齢に左右されないものは
ともかく、ボクシングはもちろんスポーツの世界では
年齢的な限界だってある。

夢を叶えるために努力する過程は大事だが、
諦めなければ夢は叶うと簡単に言ってしまうことは
時にはとても残酷だ。


ちょっと古いですが、プラネタリウム制作作者大平さんのお話、
 *『夢は願えば叶う?大嘘だよ。』プラネタリウム製作者大平さんの胸が熱くなる

『いいか若造どもよく聞け。夢は叶うとは限らない。
しかし僕のプラネタの下で出会い結ばれたカップルが無数にいる。
つまり夢が叶うとは限らないが、
最初のチ ンケな夢よりはるかに
大きな結果をもたらすこともあるということだ。
だから夢に挑戦することはとても意味あることなんだよ!!』


この人いい!かっこ良すぎ!!
夢は願えば叶うとか、あきらめなければとか、
大人の都合のいい言葉に惑わされちゃいかんよね。
夢を持つ事の重要性はそこじゃない。



夢を叶えようとして努力している過程で

違う何かを見つけられるそこにこそ意味がある。


ちょっと例えはちがうかもしれませんが、
リーガルハイでめちゃくちゃ印象に残っている話があります。
伊東四朗扮する天才アニメ監督(
宮﨑駿がモチーフ?)、
ブラック企業丸出しの労働環境のため、
絵を描くことができなくなったスタッフに、
謝罪と慰謝料を求められる話。


裁判中の天才アニメ監督(伊東四朗)抗弁。

君に才能があると思ったことは一度もない。
私も天才などではない。才能とは、自分 で必死になって掘り起こすものだ。
そして、努力に努力を重ねて、一段、一段登っていくものだ。
それを努力もせずに麓にいる者は、
私のことを『あいつは天才 だから』などという。
冗談じゃない。私も必死になって努力し続けているのだ。
俺はゆとりで育ったのんびり屋がきらいだ。
若いのに、努力する時間を惜しむ。
若いお前らには時間がたっぷりある。
でも俺にはたくさんは残っていないんだ。
そんな時間の無駄使いをするなら、くれよ。
その時間を俺にくれ!
(リーガルハイ)

リーガル・ハイ DVD-BOX
 
別にエンタメだけじゃなくていろんな分野で同じ事が言えると思う。
登らなかった人は登った人をうらやみさげすむ。
登らない、登れない、理由は色々あるようですが、
実際には”登った”か、”登ってない”しかない。


とはいえ何をどうやっても越えられない壁と言うのはあって
人並みはずれた努力ができるってことが
すでに才能だったりもするんです。

仕事柄世界トップクラスのアスリートやアーティストと
仕事を機会がたまにあるのですが、


彼らは努力を努力と思わずにやっている。
そういうのを見ちゃうともうなんだかね、、、

エンタメでもスポーツでもトップに行くには
あふれる性能と尋常ならざる努力とたぐいまれなる運の
すべてがそろって初めて到達できる領域。

だからなおさら軽々しく登りた〜いとか言う人がいると
カチンとくることは良くある、、、(蛇足ですね)


ちなみに私は麓の登山口でその山について語っている人です。
もちろん登らずにです。

夢は叶うと信じて努力することは素晴らしいですが、
それは人から言われもんじゃない、
死ぬほど努力して到達することができた限られた人の言葉なんです。

MONGOL 800の「夢叶う」を聴きながら凡人はシコシコ頑張ります、、、
歌:
MONGOL 800
作詞:上江洌清作
作曲:MONGOL 800


明日には夢叶う夢叶う
いい風が吹く
明日には夢叶う夢叶う
いい風が吹く







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