2016年1月3日日曜日

2016年の所信表明「軽佻浮薄と付和雷同」

例えば、、、
1945(昭和20)から1975(昭和50)
1965(昭和40)から1995(平成7)
1985(昭和60)から2015(平成27年)

どの30年を取ってみても劇的に変化してませんかね?

戦後から高度成長期はもちろん激変している。
情報はラジオからテレビがメインになり、そして家庭電話の普及。
いわゆる三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)と言われる
白物家電と家庭電話が一気に普及した。オリンピックもあった。
高品質の音楽を聴くための音楽喫茶なんてあったらしいw

いわゆる戦後は終わった宣言後(1956)から9年経った1965年から
バブルを経て平成までの年だってライフスタイルは激変している。
バブルが起きてバブルがはじけた。
ここでネット登場、ポケベルから携帯電話。
レコードとカセットの時代からCDになった時でもありましたね。
ウォークマンもこの時だ。
ゲーセンからファミコン、プレステからゲームボーイ。

今から遡った30年だとバブルの85年からになるので、
テレビ全盛からネットへの移行と、PCの普及と衰退、
携帯電話の登場と劇的な進化、、、
CDの登場と衰退、MDとかいう徒花もありつつ
Ipod>Iphoneの時代ですね。

何が言いたいかというと時代はいつでも劇的に変化しているということ。
ちょっと考えれば30年前の常識と今の常識がずれていることはすぐわかる。
(変わらないものももちろんあります)

今が特別なんではなくいつもそうなんです。
時代はいつでも絶賛激変中です。
『強い者が生き残るのではなく、
 賢い者が生き残るのでもなく、
 変化できる者が生き残る』ダーウィン

過去に最適行動だったことも今では違うなんてことは普通にあるわけで、スタンダードなセオリーを探すよりもその時その時の時代に合わせて変化して適応できる能力が最も大事なんだと思います。瞬間風速で最強に見えても消えていったものは沢山あってしぶとく生き残っているのは多様性のあるものが強い。変化し続ける世界では適したものが生き残るわけではなくて適応したものが生き残る。

昔はこうだった、かつては良かった、最近の若者は、俺が若い頃は、、、、
なんていうのがノスタルジー以外の何物でもないってことがよくわかる。

なのでいつでもどこでもどうなっても対応出来るように
今年もより一層流れに身を任せ、地に足のつかない、
ゆるゆるでふわふわでぐだぐだででれでれに、
頑張ららない、張り切らない、努力しない、
軽佻浮薄と付和雷同を合言葉に大切にほどほどにやっていきます。
たぶんそのくらいがちょうどいい。

2016初春 長野にて、、、


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