2014年3月3日月曜日

ビットコインとWikipedia

今朝のエントリーでビットコインに関して下記のように書きました。


ビットコインの成立の経緯は、

*サトシナカモトを名乗る人間がシステムとルールを公開
*世界中の有志がプログラムを補完して完成
*正体不明のサトシナカモトと完成に至った経緯には
国や特定機関の関連が全くみえない。

だからすばらしいと思うか、、、だからうさんくさいと思うか、、、

ビットコイン関連ー私的まとめ2


で、”うさんくさいと思う人々”にぶつけてみたい話として、
有名な百科事典のお話しを思い出しました。


a「潤沢な予算で世界中の専門家を使って作る」
b「世界中の人々が趣味や時間つぶしなど純粋な楽しみのためにやる。報酬はゼロ」

あなたはどちらに投資しますか?aはMicrosoftの Encarta、bはwikipedeia。
わずか10数年前のお話しです。かたや計画は頓挫、かたや大成功。
どちらが勝ったかは言わずもがなですね。

 (モチーベーションと結果の予測


大手が大資本をもって始める、もしくは数人で始めて大きな会社になる、
という成長パターンではなく、フレーム(仕組み)を考える人と補強する人がいて
あとはそれをみんなが使い育てて行くというのはある意味インターネットでは
しょっちゅう起きてるんですよね。

Youtubeだってコンテンツは作っていない。
既存のメディアと比べればわかりやすいですが、
問題が起きた時に流している映像に対して責任をとらない。
(実際は何を流すか判断はしていますが)

ソーシャルニュースサイトのHuffingtonPost だって。
フレームはあるけれど記事は一般ブロガーからの投稿で成立している。
つまりHuffingtonPost としての正式な見解というのは存在しない。

楽天だって楽天自身が何かを売る訳ではなく不特定多数の商店が集まっての仮想商店だ。

その金融バージョンがビットコインなのではないでしょうか?

もちろんフレームそのものを管理する人がいないという点では大きく違いますが、、、
それすらも『特定の管理者がいないので相互管理がしやすいことは利点である』
という考え方を飲み込めば成立する。Wikipediaが意外と偏った意見にならないように
衆人環視の効果はバカにできない。

お金がなかった時代の人に紙幣を理解させる事が困難なのと同じで、
現物のない仮想通貨を理解するにはかなり想像力を使う必要があります。

でも理解できない事をあり得ないと言ってしまうのは簡単ですが、
それでは思考停止ですよね。新しい概念を理解するのは非常に難しいですが、
わからない事をわからないまま否定することだけは避けたい、、、

わかる努力だけは続けてみる。


といったようなことをつらつらと考えながらあちこち散見を続けた結果。
現時点での私の理解では仮想通貨と言う概念は夢物語ではないように思っています。

だからといって私がビットコインを買うかというと、
それはまた別の話ではありますが、、、



今日のコピペ:
ロックは死んだとか文学は死んだとか
民主主義は死んだとか…国
会も死んだのか。
俺の思う○○じゃない!
っていうのを「死んだ」
っていうの趣味悪いと思う
(詠み人知らず)

死んだをオワタに変えてもいいね。
知ろうという努力を放棄して思考停止、
理解を超えると終了宣言、
本当に終わってんのはだれでしょう? 


ビットコインの仕組みについては

大石哲之さんが昨日のエントリーでさらに詳しく説明しております。
ビットコインの「送金」についての基礎知識
(誰も解説してない仕組みのところの解説) #BLOGOS

これを読むとビットコインそのものの概念を
既存の銀行システム的にとらえようとする事自他に無理がありそうです。
交換所すら本来必要がない。
また、
同じ仮想通貨であるPaypalはUS$を基軸としているのに比べ
ビットコインは仮想通貨であるだけでなく通貨としての
信任性をそのシステムそのものにゆだねてる部分が革新的なんだと思います。

ま、そういう意味では原始のお金も同じと言えば同じですね。

そしてマウントゴックスの挙動は十二分に怪しいですね、、、

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