2011年12月15日木曜日

ニセの記憶とホンモノの記憶

  「最近FBで小学校の友達と盛り上がっている。そこででてくる昔話の一つ一つが(忘れていたとしても)、明らかに自分の人格形成の深い部分に影響を与えているんだなとしみじみ。子供達に今起きているであろう楽しいことや悲しいことを全力で肯定してあげようと思う。」

 以前にこんな事をつぶやきました。 
 その翌日

 「昨日は小学校の同窓会でした。19時から始まり最後は4人になるも朝5時まで。みんなぱっと見は変わっているようでも仕草だったり笑い顔だったりが変わってない。自分が忘れている細かいことを他人が覚えていると、くすぐったい嬉しさがありますね。本当に子供は子供でいろんな事を考えて暮らしていたんだなとしみじみ。 」

 自分が思っていた以上にかなりプライベートな事を相談していたりと驚く事も沢山ありました。記憶がドンドン掘り起こされてくる感じは本当に小気味よく楽しい時間です。

 でもそれは本当にホンモノでしょうか?  記憶って実はすごく曖昧なんですよね。 

 私はなぜか小学生の時に妹に熱湯をかけて大やけどをさせたことがあります。(なぜやったかは今もって不明) しかし妹にとってこの事件は仲が良くても問題児だった、弟がやったことになっているのです。更に驚くべき事に今では 弟自身も自分がやったと思っています。姉や母に確認するまでもなくこれは私がひき起きした事件なのは明白です。だがそれを言ってももはや二人はかたくなです。兄は一体何を言っているのだという顔をされるばかりです。

 記憶とはどこかねじ曲がってしまう可能性があるのです。えん罪を押し付けられているうちに本当にそうだと思ってしまう事があるように。これは悲しい記憶を消す場合等はとても有意義に出来ています。

 ほとんどの記憶のディティールとはとるにたりないことであるにもかかわらず、その細部にこだわる人は多い。それはきっと記憶と感情が結びついているので、記憶の否定は、その時にその人が持った感情をも否定する事になってしまうからではないでしょうか。 記憶力の豊かな人というのは感受性もきっと豊かなんだろうなと思う。
 
「社会への同調」で生まれる「ニセの記憶」  via @wired_jp
”われわれは世界を「物語」として認識するが、それは「事実」を歪めてしまうことも多い。同時テロのような社会的大事件についての記憶も含め、個人の記憶は、社会に同調する形で容易に変化しうることが実験で示されている。”

”この研究は、社会的に共有された物語が、個人の記憶をまったく信頼できないものにしうることも説明している。例えば、2001年9月11日の「鮮明な」記 憶に関して調査が行われている。悲劇的なテロ事件があってから数日後に、ウイリアム・ハーストらによって率いられた心理学者たちが、人々の体験についてイ ンタヴューを行い、その後も個々の 記憶について追跡調査を行ったのだ。その結果、1年後には、事件の詳細の37%が、最初の叙述から変化していた。2004年には、その数字が50%近くに 達した。研究者たちは現在、10年目の調査結果をまとめているが、おそらく記憶のほとんどがフィクションに近いものになっているだろう。”


広告で生まれる「ニセの記憶」:研究結果  via @wired_jp
”鮮烈なイメージを与える広告は、それを見る人の海馬をだまし、「画像で見た場面」を「実際に起きたこと」と勘違いさせる上で驚くほどの力を発揮するという研究結果が発表された。”


”すなわち、記憶とは、常に変わらない情報が蓄積されているわけではなく、常に変化する「プロセス」であることが明らかになってきているのだ。いわば、思い出すたびに書き換えられるファイルのようなものだ。何かを思いだせば思い出すほど、記憶の正確さは失われて行く。”

”記憶の確かさと感じられるものは、あくまで、それを最後に思い出した時点での確かさでしかない。記憶の元になった刺激が存在しないため、想起される記憶は変化している。そして、「実際に記憶している内容」から、「記憶したいと思っている内容」に近くなっていく。”


記憶のデティールがホンモノがどうかよりもその時に感じた事が真実だと思うのが良いと思うのですがいかかでしょう。と、物忘れがひどくデティールを話すたびにねつ造して、しまいにはどこまでが作り話がわからなくなってしまう私は思うのです。

 みなさんも是非同窓会を開く事をお勧めします。人によって様々に色々な事を色々な角度から覚えています。それらを聞いているだけで本当に楽しくなってきます。
 老化防止効果間違いなし!


脳を見れば友人の数が分かる? ロンドン大研究 http://t.asahi.com/4dnu

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