漫画カメラなるものが流行っています。これってinstagramとかと同じで技術のコピーなんですよね。なんでも簡単にできる時代になりました。
漫画カメラ 最近登場した画像加工アプリ。写真をマンガチックな絵に変換してくれます。
漫画カメラ 最近登場した画像加工アプリ。写真をマンガチックな絵に変換してくれます。
instagram 画像加工ソフト。最近FBが買い取りました。簡単にプロっぽい加工ができます。
今までであれば莫大な人の手を借りなくてはできなかったような写真の加工やマンガチックな絵がだれでも簡単にそこそこのものを作れてしまう。
でもこういう流れって実は良いこと何じゃないかなと思っています。
結局それってよりいっそう真のクリエィティブつまり作り出す力とか演出力とかが求められるようになってくる。これはカメラの進化を考えるとわかりやすいです。最初はあつかえる事そのもの、そしてピントをあわせる事ですら修練が必要で、ところが今ではほとんどがオートフォーカスが一般化され、本当に一部の仕事と趣味の世界以外では技術としての技術は必要なくなった。道具が使えるだけの技術者は残念ながらご退場いただく事になってくるでしょう。そして今度はそれが加工レベルになって来ている訳です。でもアングルを切りとったり、瞬間をみつけるセンスがはいつの時代でも必要なのです。
極論すれば元ネタとプロデューサーとディレクター以外はいらなくなってくる。もちろん細かく間をつなぐコーディネーター的な人はいります。元ネタとは原作や原案のようなアイデアだったり、広告であれば商品や企業そのものの場合もあります。
”こんな高価な機械持ってます/使えます”とか、”学校でXXの技術を習得しました”
な人々は+アルファを見せられなかったら仕事ないですね。プロがプロでいられるためにはセンスそのものが問われてくる訳です。また世界中の何百万人もの素人のまぐれ当たりに勝てるようにコンスタントに合格点を出せる事なども重要になってきます。さらには何百万もの素人のまぐれ当たりを探して来れる人、つまり今まで言えばコーディネーター、編集、プロデューサー、最近でいえばキューレーターでしょうか。こられの職種も重要になってきます。
もちろん今までもそうですが、今後はより顕著になっていきます。そしてそれは金銭や人脈がなくてもクリエィティブする能力と熱意さえあればだれでも上がって来れる事を意味しているので全体としては良い流れなのではないでしょうか?
制作者にとっては大事なのは
一番目「何を作りたいか?」
二番目「どうやって作るか?」
三番目「それでどうやって儲けるか」
原点はこれに尽きるかと。
一番目の「何を作りたいか?」とこの三番目「それでどうやって儲けるか」は人によっては逆転してもいいと思います。私は儲け主義を否定しません。むしろ私自身もそう言う時もあります。
でも方法論である二番目の「どうやって作るか?」が目的になってくるとちょっと見失う。映画監督になりたい、漫画家になりたい、カメラマンになりたい、それらは本来表現の手法であって目的ではないはず。たとえ建前でも伝えるべき何かは必要である。
”私の夢は、好きな映画を作れる事、そしてそれで食べ続けて行ける事”というような話しをフェリーニか誰かが言っていたと思うのですが、出典をみつけられませんでした。
”好きな”つまり伝えたい何かと”続けて”つまりプロ化、巨匠ですらそう思うわけです。
ましてや...
機材や技術がどんなに進歩しても根本は変わらないですよね。良いものが受け入れられる。そして良いものとは技術自慢大会ではない。自明の理です
以前こんな事も書いてます。
プロとアマチュアの境目
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